コミュニケーションの「話す/聞く/伝える/理解する」4つのスキルを伸ばすためのオンラインのコミュニティでみんなでワイワイ楽しくやってます。
動画でも同じテーマで喋りました。
この動画の中では、「嫌いな人が味方になる方法」をお伝えいたします。
皆さんの周りで、なぜか皆さんのことを嫌っている人っていませんか?
実は、皆さんを嫌っている人にも二通りあります。
1つ目は、自分が嫌だと思う人、つまり、嫌いな人から嫌われいている、お互いに嫌い合っているパターンです。
2つ目は、相手の方を嫌いは嫌いなんだけも、実はそれほど嫌いじゃない。
むしろ本当は好かれたいけど、仲良くなりたいけど、相手から嫌われいている(少なくともそう思える)パターンです。
まず、1つ目のお互いに嫌い合っている人には、基本的に近づかないほうが無難です。
「合わない人には、会わないこと。」
斎藤一人さんの仰るとおり、これが鉄則です。
このパターンの話は、過去の動画で何度か話していますので、そちらを参考にされてください。
今回の動画は、後者、2つ目のパターンを中心にお話いたします。
「嫌われているかもしれないけど、できればあの人と仲良くなりたいな。」
「今は敵対しているけど、できればあの人に心強い味方になって欲しいな。」
そのような方がおられたら、きっと参考になると思います。
嫌いな人、いわゆる敵が味方になることって、本当にあるんです。
今回の話をお聞きいただけましたら、嫌な人・苦手な人などの敵が、皆さんの味方になって、皆さんを今後ずっと助けてくれるようになります。
そうなると、皆さんは、幸せな快適な人生が送れるようになりますので、ぜひ最後までご覧ください。
さて、前回の動画「嫌いな人と仲良くなる方法」では、嫌いな人が向こうからやってきたパターンのお話をいたしました。
今回の「嫌いな人が味方になる方法」は、こちらから動く方法になります。
以下の2つの方法を、僕の実体験を交えてお話いたします。
1.共通の目的を持つこと。共通の敵を作ること。
2.相手と「腹を割って」本音で話すこと。
視聴者の方へ
僕の動画は、他の方の動画となるべく差別化して、違うものにしたいとの想いから、なるべく実体験に基づいて話しています。
知識だけを話すのは、好きじゃないのです。
なので、僕自身の失敗談、成功談を含めて、自分の体験談を意図的になるべく多く入れています。
コメントのほうで、「ご自分の話でしたね」などのご意見をいただく時がございますが、それを意図的に狙って、僕は動画を作成しておりますので、どうぞあらかじめご理解をお願いいたします。
もし、動画の内容が、自慢話とか愚痴などに聞こえましたら、申し訳ございません。
不快だと思われたら、どうぞ動画を速やかにお止めいただきますようにお願いいたします。
さて、相手と「腹を割って」話すという方法をどのように使ったのか、どのようにうまくいったのか、その体験をお伝えします。
それは、はじめ嫌い合っていた、卓球部の顧問の先生とのストーリーです。
僕は以前、卓球だけが生き甲斐で、全国大会まで行きました。
その話を高校の同窓会で自慢気に話したら、高校の時の卓球部顧問&3年生の時の担任の先生(S先生)から、卓球部のコーチを頼まれたんです。
ちなみに、高校は進学校でしたが、僕は中学とは真反対になって、全然勉強しなくなって、特に3年生の時は最悪の成績でした。
行く大学はなくて、さらに、ゲームセンターで進路指導の先生に見つかって、1週間の停学もくらうなど、当時は学年1とも言える問題児でした。
また、高校の大掃除時に僕が部室でサボっていたのをS先生は見つけて、教室で他の生徒の前で、僕を叱りつけましたこともありました。
実は、この大掃除以外の日は、僕ともう一人の女の子だけが、真面目に毎日掃除していました。
そんな事情を知らないくせに、S先生の言葉にはかなり腹が立ったのを憶えています。
こんな関係でしたから、高校生の当時、S先生は、僕のことをかなり嫌っていて、僕は、すごく苦手でS先生を大嫌いでした。
3者面談では、僕のことをすごく罵倒したので、僕の母は、「S先生だけは大嫌い!」と言っていました。
そんなS先生からのご依頼だったので、本当にビックリでした。
よほど、卓球部の生徒を大事に思っておられたんだと思います。
S先生は、僕の母校とは違う高校に転勤されてたので、ご依頼は母校ではなく、しかも、女の子でした。
「彼女らを中国大会に連れていきたいから、半年だけでいいから教えてくれ。」とのご依頼でした。
僕はそれまで、人に卓球を教えたことなんてあまり無いし、卓球を習ったことも無いし、すべて我流でプレーしてきた僕にとっては、完全に未知の世界で、まったく自信がありませんでした。
当時僕は銀行員で、県職員の給料振込運動というのがあって、それを契約いただく条件で、半年間の約束で、コーチを引き受けました。
でも、やってみて、自分でも本当にビックリしたんですが、生徒たちが見違えるように強くなって、県大会を突破して、目標の中国大会に出場できました。
ご依頼は達成できたので、ホッとして、これでのんびりできるなと思っていたら、S先生が「頼むから、引き続き後輩も教えて欲しい」と言われて、引き続きコーチを引き受けました。
予想外に生徒が強くなって、中国大会にも行けたことで、S先生は、僕のことべた褒めされていました。
昔は「山根!」ときつく呼ばれていたのに、「山根さん」と呼び方が変わりました。
めちゃくちゃ気分が良かったです。
また、S先生のご自宅にも何度も伺って打ち合わせをしたり、奥様にも良くしていただきました。
S先生とは昔敵対していた仲でしたが、同じ目標を持って、同じ方向を向いて、成果も出したという結果が、人間関係をガラリと180度変えてしまいました。
S先生は、職員会議の席で、卓球部の快挙を自分の手柄にしないで、わざわざ僕の名前を出して、「うちのコーチが素晴らしい」と披露したそうです。
そんな仲になりましたので、昔の大掃除の日のことや日頃の掃除の件を話して、笑い合いました。
また、その高校内に合宿所があるのですが、春休みの卓球部の合宿にも、銀行の勤務のあとに参加させてもらいました。
銀行員最後の日は、合宿所から生徒たちに「いってらっしゃーい」と見送ってもらえたのが、今では、最高の嬉しかった思い出です。
でも、実は、そこからが、僕の凄まじい苦労の始まりでした。
あと少し余談になるんですけども、こういう話をしましたら、特に男性の方から、「そりゃ、あんた、いい思いしただろう。」みたいなことをたまに言われるんです。
でも、全くそういうドラマみたいなことはないんですよ。
僕は、卓球を教えた男の子とか卓球部の後輩の男の子には結構好かれたんですよ。
何でかっていうと男は倒せばいいんですよ。
勝てばいいんです。
そうすると、「山根さん、参ったわ」ってことになって、「こうやればよかったよな」って言ったら、それですごく好かれるんですよ。
仲良くなる方法として、一つはスポーツだったら、そういうメリットがあるんですね。
ところがですね、女の子は、そうはいかないんすよ。
倒しても、勝っても、全然尊敬されるということもないし、「なんで、私達相手にムキになってんの?」みたいな見方をされるときもあるんです。
では、手加減したらどうなるかっていうと、「なんで、手加減してんの?」っていう子もいるんですよ。
非常に難しくて、教え方も実はすごく僕なりに個人個人の実力と気質を考えてやらなくちゃいけなくて、すごく苦労はしたんです。
今ちょっと成果がトントントンってうまくいったみたいなこと言いましたけど、結構苦労はしてるんですよ。
当時女の子にはあの男として見られないですね。
その当時はそんなことはわかってないんですけども、あとで知りました。
実は僕、結局この高校8年教えて代々のキャプテンがいるんです。
10年前ぐらいだったと思いますけど、うちの子供を連れて公園に行ったら、8代目のキャプテンと、ばったり出会ったんです。
向こうも子供連れでその公園に来ていて、「コーチ!」みたいなことになったんですね。
「これ、うちの子。」とか言ったら、彼女はむちゃくちゃ驚いて、「ええーーー!コーチ結婚できたんですか!」と言ったんです。
「え?どういうこと?結婚できたよ無事にね」って言ったら、こう答えたんです。
「実は、私達の中では、コーチは絶対結婚できないって噂になってたんですよ。確かに卓球を教えるのは優秀なコーチでした。でもね、男性としてはあれは駄目だって言ってました。すいません。」
みたいなこと言われちゃって(笑)
要はやっぱり僕は、コミュ障だったということですよね。
信頼関係をやっと築いたS先生が、しばらくして顧問を辞められたんです。
その後任に、2代目の顧問の先生(M先生)が来られたんです。
実は、後任のM先生との話がメインです。
M先生は、僕の8つくらい年上ですが、S先生と比べると、かなり若い先生で、部活動にはすごく熱心な先生でした。
以前おられた高校では、男子卓球部の顧問でしたが、たしか、県で2位のかなり強いチームでした。
なので、M先生は卓球経験者ではありませんでしたが、おそらく、ご自分の指導方針に自信があったのだと思います。
S先生は、練習内容などを僕に任せていましたが、M先生は違いました。
それはそれで構わなかったのですが、僕にはすごく困ったこと、腹のたつことがありました。
それは、M先生から僕に連絡が全くないことです。
例えば、僕が高校に教えに行ったら、部活をやってないということがたくさんありました。
部活が休みの日なら、あらかじめ連絡をいただきたいんですよね。
僕も時間を取って、計画を立てて、わざわざ行くわけですよ。
「なんでやねん?M先生は!」っていう感じになっていました。
今考えると、M先生は最初は明らかに、僕のことをあまり良くは思ってなかったみたいです。
というか、かなり嫌っていたと思います。
なぜなら、M先生目線で考えると、そもそも、自分が山根にコーチに来てくれと頼んだわけではありません。
自分はS先生と違って毎日部活に来て、熱心教えている。
なのに、あいつは、時々気の向いた時にやってきて、偉そうに生徒を教えている。
なんなんだ、あいつは!
卓球だけはたしかに強いみたいだけど、生意気なやつだな!
と、思われていても不思議じゃないと、今なら思います。
そんな僕らでしたが、二人で生徒を教えていると、生徒はどんどん強くなっていきました。
県大会を突破して、中国大会に出場するのです。
M先生とは、仲は良くないながらも、成果は上がるという期間が、4年くらい続いたと思います。
その間、バカバカしくて、辛くて、コーチを辞めたいと思ったことは一度や二度ではありません。
でも、S先生との約束もありましたし、引退する代々のキャプテンが、なぜか最後の大会の時にだけ、帰りの列車の中で僕のところにやってきていうのです。
「自分たちはコーチを困らせた問題児でしたが、後輩たちは本当に可愛い良い子たちです。どうか、後輩をよろしくお願いします!コーチはやめないでください。」
まるで、先輩から引き継がれたマニュアルでもあるかのように、最後だけ、代々のキャプテンが僕に頭を下げました。
その代々のキャプテンとの約束もあったので、コーチを辞めきれずにいたのです。
その一方で、銀行員をやめたあとの訪問販売の仕事では、トップセールスマンとして、どんどん出世していきました。
僕は、生徒の試合を見に行くために、その支社長と、入社した時に、約束をしていました。
「一定の営業成績をクリアすれば、生徒の試合に行っていい。」という約束です。
生徒の大会には、営業の合間とか、わざわざ休みを取って行くしかありません。
特に、他県に遠征する中国大会になると、2日以上の連休を取らなければ行くことができません。
なので、僕は一生懸命一定の営業成績を残して、休みの日を作って、生徒の試合に当てていました。
ところが、その支社長との約束が守られない状況になってしまったのです。
それは、僕が支社NO.2まで出世した時のことでした。
「生徒が広島で中国大会に出場するので、休みを取らせて欲しい。」と言ったところ、上司から言われました。
「山根、もう山根は、支社でNO.2だ。何かあった時は、俺の代わりは山根になる。さすがにもう、私事で休ませるわけにはいかない。また、山根が成績を上げても、山根だけ休みを取らせるということは、社員に示しがつかない。休みを取るというのなら、これを最後にしてくれ。」
「え?約束が違うじゃん!」と反論したくなりましたが、この言葉で僕は仕方ないと引き下がりました。
なので、僕が見てやれる中国大会は、その大会が最後になりました。
もう生徒に着いていくことはできません。
そして、その広島の大会の試合が終わった後に、M先生と初めて一緒に酒飲んで話しました。
着いて行けれる最後の中国大会だと思っていた僕は、その時日頃の不満も含めて、M先生に対して思っていることを、酔に任せて全部言いました。
「先生からは連絡が全然ないです。学校に行ったら、部活をやってなかったことがたくさんあったんですよ。僕はね、M先生、これでも生徒を一生懸命教えてるんですよ。でも、連絡がないのは、本当に困ります。」
「でもね、今日言たいのはそれじゃないんです。」
僕らが教えていたのは高校生の女の子だったんですけど、これまた、このM先生が生徒にめっちゃモテるんですよ。
確かに顔もいいし、熱心に部活に行ってるし、前の顧問のS先生よりすごく熱心なんですよ。
モテるのも分かります。
でも、僕も自分なりに一生懸命教えてたんです。
当時ポケベルっていうのがあって、ポケベルを先生も僕も持ってたんです。
その大会の日、生徒達に、そのM先生のポケベルの番号か何かを聞かれたんです。
とにかくそのM先生がモテすぎたので、要は僕が嫉妬したんですよね(笑)
それを正直に話したんですよ。
もう酔いまくってて。
言えることを全部言おうと。
最後の大会だからっていうのもあって、全部の本音をぶつけようと思ったんですね。
「腹を割って話した」わけです。
という話をしたら、M先生はこう言いました。
「山根君、あんたの言たいことはよく分かった。」と。
「でもな、ワシにも言わしてくれ。」と。
「なんですか?」と言ったら、
「ワシこそ、あんたに嫉妬しとるわ!」って。
「えーー?」と思いましたね。
「あのな、わしはこれでも、前のS先生と違って、毎日部活に行っとる。」と。
「ずっと毎日、生徒を見て教えとる!」
「でも、あんたはなんだ!」と。
「1ヶ月に1回か2回そこらしかやって来ないくせに、やってきたら、生徒は目に見えてうまくなる。」
「この間の○○のバックハンドだってそうだ。」
「ワシが1ヶ月掛かっても出来ないことを、あんたはほんの数分ちょこちょこっと教えて、それで生徒は出来てしまう。」
「いつもあんただけが、おいしいところを持っていくんだ。」
「ワシこそ、あんたに嫉妬しとるわ!」
みたいに言われました。
言い方は多少怒った感じでしたけど、ちょっと嬉しいじゃないですか。
すかさず僕も言い返しました。
「いやいや、それは違いますよ、M先生。」
「M先生が日頃から基礎練習を生徒にきちんと徹底させてるから、それが出来るんです。」
「技術の土台がないと、いくら僕が教えても、生徒がいきなり出来るはずかないじゃないですか!」
「M先生のおかげで、生徒はうまくなったんです。」
「なに言ってるんですか!」
こんなふうに、お互い本音で言い合って、お互い嫉妬してたということが分かって、その夜はお互い酔いまくって、盛り上がって、その夜からM先生とめっちゃ仲良くなりました。
「じゃあ、ああしていこう、こうしていこう」みたいな発展的な話になって、それ以降、そのM先生からの連絡は、本当にこまめに来るようになりました。
結局、M先生からも卒業生からも依頼され続けて、その高校を8年間教えました。
M先生と組んだ顧問とコーチのタッグは、最高のタッグだったと思います。
M先生は英語の教師でしたが、イギリスに留学するなど、本人の望まないところで出世コースに乗ってしまって、顧問を引退されてから、僕もコーチを完全に辞めました。
卓球から離れて、仕事に専念していたんですけど、数年経ってから、M先生から連絡がありました。
M先生が転勤された高校で、また卓球部顧問になって、今度は男子を教えるようになったと。
「山根君来てくれんか?」って頼まれたので、その高校で男子を5年間教えましたね。
その時も最高に好待遇でした。
前の高校と全然違うんです。
その頃になると、外部のコーチが校舎内に入るってくるいうのは、けっこう難しい時代に入ってたんです。
でも、M先生は、僕のために、わざわざ首からかける、高校の関係者みたいな名札みたいなものを作って渡してくれました。
その名札のおかげで、高校にも入れるし、ベンチコーチまでつけれるようになったんです。
以前は、高校の関係者ではない、要は部外者扱いですので、ベンチコーチに入れなかったのです。
会場の上のほうから、大きな声でアドバイスするのが精一杯でした。
男子生徒を教えた時は、とにかくできる限りの好待遇を、M先生にはしていたきました。
それもこれも、広島の夜にお酒を飲みながら、お互い本音をぶつけあえたからなんです。
男子生徒を5年間教えた後は、そこからはお互い年に1回、年賀状で近況報告する程度だったんですけども、数年前に久々に連絡がありました。
「M先生は教頭になったと聞いたけど、また卓球部の顧問になったのかな?」
「まあ、ちょっとしたコーチぐらいだったらできるかな?」
と思ってたら、まったく違いました。
すでに校長先生になっておられたM先生は、僕にこう言いました。
「山根くん、H高校の法律の非常勤講師がどうしても足らんわ。」
みたいな話をされて、卓球の話ではなくて超ビックリです。
「あんた、銀行員やってただろう。法律に詳しいだろう。」って。
「いやいや、銀行員はやってましたけど、法律なんか全然知りませんよ。」
「今年は、地域の自治会長もやってて、僕、忙しいんです。」
と何度も断ったんですけど、M先生の頼みだから断りきれませんでした。
なぜなら、連絡があったのは、新学期が始める直前の3月30日だったんです。
お願いできるところには、全部お願いして、フッと浮かんだのが僕の顔だったそうです。
結局M先生の下で、法律を知らない僕が、高校で法律を教えたという、ある意味、良い人生経験をさせてもらいました。
ちなみに、電話の翌日にH高校に出向いたら、転勤する直前の教頭先生と出会いました。
ところが、この教頭先生も、かつてのライバル高校の卓球部顧問で、M先生と同じく何度もお酒を酌み交わして語り合った、大好きな方でした。
その教頭先生と相談して、山根を呼ぼうという話になったそうです。
ビックリでした!
M先生とは、お互い独身の時からのお付き合いで、奥さんができて結婚して、子供と一緒にお互い家族ぐるみで食事したとか、何十年も、本当にいいお付き合いをさせていただいております。
僕とM先生の間で、最初は嫉妬心から始まった関係も、互いの本音を話すことで
によって、お互いの理解が深まって、結果として非常に良好な関係に発展しました。
M先生とは、腹を割って本音でぶつかって話し、ライバル校の生徒たち(敵)を倒して、生徒を中国大会に連れていくという共通目的を持てたから、お互い嫌い合っていたところから最高のパートナーになれたのだと思います。
敵だったけど、同じ方向を向いたから、最大の味方になった。
ということだと思います。
まとめますと、嫌な人、嫌いでたまらない人とは、距離を置くのが無難です。
合わない人とは会わないことです。
でも、もしも、相手の方と協力して、何か成し遂げたいと思うことがあるなら、多少気が合わなくても、苦手だったとしても、同じ方向を向いてください。
同じ目的を持ってください。
共有できる目的を、提案してみてください。
できれば、腹を割って本音で話してみてください。
今まで苦手だった人、嫌いだった人が、最高のパートナーになる可能性があります。
敵が最大の味方になることもあります。
ただ、話し合いがちゃんとできるかどうかは、相手次第で、やってみないと分かりませんので、そこは自己責任でお願いいたします。
でも、お互いの気持ちが通じることさえできれば、M先生のようにとても心強い味方になってくれます。
そうなれば、幸せな快適な人生が送れるようになります。
動画でご覧になりたい方は、こちらです。
今回の動画で話した内容を書き起こしました。
この動画の中では、「合わない人の接し方・対処法」をお届けいたします。
あいつは、生理的に受け入れられない!
もう、細胞レベル、遺伝子レベルで嫌!
あいつとは、相性が最悪なんだ!
とにかく合わない人って存在しますよね。
この人と一緒にいると、なんか落ち着かないな。
この人と一緒にいると、気を使い過ぎて精神的に疲れちゃうな。
その程度ならまだしも、
一緒にいると機嫌が悪くなる人
一緒にいるとストレスを感じる人
そのような人は、あなたとは合わない人です。
実は、合わない人がいる事自体は、問題ではありません。
人のいる社会で行きている限りは、合わない人は必ず存在します。
問題は、合わない人と一緒にいると、皆さんの機嫌が悪くなったり、ストレスが溜まったりすることです。
最善策は、ちまたでよく言われています。
できるだけ逃げればいいです。
距離を取ればいいんです。
なるべく離れましょう!
僕も、他の動画の中でよく言ってます。
いやいや、そんなことは分かっているんだよ!
でも、現実問題、合わない人、嫌なやつが近くに、正面の席に、隣の席に、いるんだよ。
どうしても逃げられないんだよ!
どうしても離れられないんだよ!
どうすればいいんだよ!
合わない人とは、どうやって付き合ったらいいんだよ?
という方のために、今回は2つの体験談を交えてお話いたします。
1.嫌い合っていた同期と大親友になった話
2.究極に合わなかった部下の話
この話をお聞きいただけましたら、まず、皆さんのストレスが減って、心が楽になります。
そして、合わない人ともうまく付き合えるできるようになりますので、または、その対策法も分かりますので、ぜひ最後までご覧ください。
1.嫌い合っていた同期と大親友になった話
この話の結論は、「心のグレーゾーンを作る」です。
大学の卓球部の同期に、非常に僕と仲が悪いOがいました。
本当に、お互い合わないやつでした。
明らかに、お互い嫌い合っていました。
まず、僕がOを嫌っていた理由。
僕は卓球に命を捧げる勢いで真面目に練習していたが、僕に比べれば、Oは全然卓球に打ち込んでなかった。
Oにとっては、卓球はお遊び程度。
1年間に渡って、体育会の下働き(局員)をさせられた。
その間、Oは、友達と麻雀やドライブなどして遊んでいた。
なんで、俺だけ、こんな辛い思いしてるんだ?
絶対不公平じゃないか!
僕は女の子にモテないが、彼はモテた。
なんで、あいつだけモテるんだ?
完全に醜い嫉妬です(笑)
さらに、あることに関しての価値観が、彼と僕とは、決定的に違っていました。真逆だったんです。
それは、霊体験に関しての見解です。
霊体験を話したら、彼は頭から完全否定して、僕をバカにした。
家族にも◯外扱いされた過去を持つ僕は、そのトラウマと共に、心理的に彼は「許されない敵」となった。
ちなみに、大学生の時が、霊体験の全盛期で、あれからもずっと続いている、山根にとっては紛れもなく真実。
信じなくてもいいですよw
Oからすれば、先輩受けが良かった僕を嫉妬していたのかもしれない。
麻雀が強かったので、先輩とよく徹麻していた。
でも、実際のところは、僕のほうがほぼ一方的に嫌いになっていたかもしれない。
一方的にOに対して嫉妬していただけかもしれない。
ところが、ある日を境に、Oとは掛け替えのない大親友になる。
ある中国大会の試合の団体リーグ戦で、Oとダブルスを組んだ。
試合中も、ミスのなすり合い。
「お前、あんなのミスんなよ。お前のせいだろ。この下手くそが。」
結果、1勝4敗のボロ負け。
この時の僕は、中国地区のランキング16位。
彼は、無名の選手。
鉄アレイや鉛の入ったラケットで徹夜で素振りしていた僕は、肩を痛めていたが。当日の5回の団体戦で悪化して、ドライブを打つと激痛が走った。
この日、ダブルスの1回戦があったが、負けたくないので、彼に頼んだ。
「俺は繋ぐからお前が攻撃してくれ。」
1セット負けて、仕方なく、肩の痛みに耐えながら全力で戦って、ギリギリ勝った。
翌日、卓球の技術などの詳しい話は省くが、二人で相談して、尽く作戦が当たる。
ギリギリで勝ち進んだ。
途中から彼の考えていることがすべて分かる。
おそらく彼も同じ。
前日にボロ負けした外シードの相手にも勝って、奇跡のベスト4。
全国大会の切符を手に入れた。
その日から彼とは大親友になりました。
彼と一緒に入って語った風呂は、最高に楽しかった。
Oへの嫉妬は、どうでも良くなった。
最高のダブルスパートナー、例えると、1+1=5
中国大会以下は、全部制した。
むしろ、僕が練習に明け暮れて、強くなっていた間に、Oは、後輩と遊びながら、部内の仲を良くしていた。
練習の鬼の山根と、部員とコミュニケーションを図って内部を固めるOは、いいコンビだった。
「山根、お前が卓球部を引っ張ってくれた。」
「O、お前が、部をまとめてくれた。」
卒業してからも毎回言い合っている。
Oの結婚式に行って。それが終わった時に、Oのご両親が僕のところまでやって来られました。
「あなたが山根さんですか?◯◯からよく聞いてます。あんたのおかげで全国大会まで行かせてもらった。本当にありがとう!」と言われました。
両親にもかなりよく言ってもらっていたので、彼も僕のことを好きでいてくれた。
彼とは、心が完全に通じ合っていました。
卒業してからも、Oが一声かければ、僕らの3つ下の後輩まで集まる。
Oの人望に他ならない。
ただ、Oと一緒に居る時に、触れてはいけない話題がある。
霊体験の話。それ以外で話せばいい。
万が一、その話題になっても、笑って流せばいい。
自分の真実を信じないからと言って、黒だと決めつけて、嫌いだ、敵だと決めつけなくてもいい。
僕は、以前は、白黒がハッキリしていて、心のグレーゾーンが少ないというか、ほとんどありませんでした。
つまり、あいつは好き、あいつは嫌い、あいついは味方、あいつは敵、とういうふうに、人に対してのレッテルをはっきり貼っていました。
なので、仲の良い人もいる一方で、自分と合わない人が非常に多くて、敵も多かったわけです。
でも、Oのような人間と和解することにより、Oを受け入れる器ができたことにより、いわゆる心のグレーゾーンが広がっていったのです。
自分の心のグレーゾーンが大きくなってきた結果、許容できる人の範囲が広がった。
合うか、合わないかではなく、細分化して考える。
ここは明らかに合わない。でも、ここなら合う。同意できる。
合わない話題には触れない。
いやいや、完全にすべてが合わないやつもいるんだ。
あいつは、生理的に受け入れられない!
もう、細胞レベル、遺伝子レベルで嫌!
あいつは、相性が最悪なんだ!
そういう人もいますよね?
そこで2つ目
2.究極に合わなかった部下の話
この話の結論は、「心の境界線を引き、相手に期待しないこと」です。
今回は、訪問販売の営業マンだった時の、究極に合わなかった、I君という元部下のお話します。
さて、皆さんには、自分と正反対の人っておられませんか?
正反対の人の中にも、もちろん、自分に合う人、好きになる人もいます。
結婚相手などは、むしろ正反対の性格の人が多いと聞いています。
でも、自分と正反対の人が横柄な態度を取ったり、偉そうな言動をしたり、自慢話ばかりする人だったら、まぎれもなく嫌な人で、皆さんとは合わない人ですよね。
「あんたとは、会いたくない、付き合いたくない。」というタイプですよね。
僕にとって、I君は、まさに、そのような存在でした。
なお、僕にとってはの話で、I君にも仲の良い人も、I君に合った人もいたと思います。
あくまで、僕とI君が合わなかった話ですので、そこは誤解のないようにお願いします。
I君と僕の何が正反対だったのかと言いますと、いわば、優等生タイプと不良タイプでした。
僕の当時の私生活はともかく、会社内では、一番きちんと仕事をしていました。
当時の僕は、会社のルールをきっちり真面目に守っていました。
会社のルールを守るって、普通だと思いますが、その支社では、なんと、ほとんどの社員が数字を誤魔化して報告していました。
そんな中で、正確な数字を報告していたのは、僕を含めてごく少数の社員だけでした。
机の上も中も、社内でたぶん一番キレイでした。
基本的に最後まで会社にいて、自分の仕事か、社員のロープレを見たり、アドバイスなどをしていました。
一方、I君は、会社のルールをほとんど全部守りません。
「ルールは、破るために存在する」という思想の持ち主でした。
I君は、営業成績や、僕から見える日頃の言動から、あきらかにサボっているように思えました。
さらに、営業成績もあまり良くないにもかかわらず、会社や仕事の文句ばかり言っていました。
つまり、実力があまりないのに、自分の意見を偉そうに言うタイプに、僕の目には見えていたわけです。
I君の話す内容が、会社内の具体的な改善策でしたら、僕も一緒に考えたいところでした。
でも、I君は、会社の悪口や、以前の仕事の自慢話や武勇伝をひたすら語ることが多かったです。
また、上司に対しての生意気な態度だけではなく、後輩に対しても、威張った態度を取っていました。
僕の考えですが、ぶっちゃけ、営業の会社ですから、本人の営業成績さえ良ければ、偉そうにしたって、多少会社のルールを守らなくたって、「別にいいんじゃないね?」と思っていました。
でも、残念ながら、彼は営業成績も悪かったので、僕はI君を認めることが、どうしてもできませんでした。
さらに、生理的に受け入れられない、細胞レベル、遺伝子レベルで嫌悪感を抱くこともありました。
彼の趣味は、ボクシングでした。
ちなみに、僕は、ボクシング自体は嫌いではなくて、ボクシングの漫画も良く読んでいました。
ボクシングか喧嘩によって、彼の前歯は欠けていました。
その欠けた歯でニヤっと笑った顔が、生理的に嫌でした。
I君のそのような表情を、なぜそこまで嫌いだったのかは分かりません。
おそらく、彼の営業成績が悪いのと、日頃の素行の悪さとか、いろいろなものが僕の思考の中にあって、一緒になっていたんだと思います。
つまり、僕は、I君に対して、物凄く強い嫌悪感を抱いていたのです。
実は、嫌悪感だけでなく、呆れた感情を抱くときも多々ありました。
1週間に1回、成績チェックというものがありましたが、チェックに引っ掛かった社員は、今後の具体策をいうのを、本音かどうかはともかく、その場で言うのです。
その時の彼のいう言葉は、毎回決まっていました。
「しっかりやります」と言うんです。
もしかしたら、彼にとっては本音の言葉だったかもしれません。
もしかしたら、彼の語彙力が足らなかっただけかもしれません。
でも、すかさず、僕は心のなかで突っ込むわけです。
「いや、いや、I君、君はずっとしっかりやってないから。」
「いつもサボっているから、その成績なんだよ!」
「仕事を真面目に考えてないから、具体策も浮かぶはずがないよ!」
「君は謙虚さがなくて、威張ることしかできないからだよ!」
今では申し訳なかったと少しは思いますが、当時の僕は、そう思っていました。
でも、そのように思うことは仕方ないにしても、当時の僕に反省してほしいことがあります。
それは、内心、彼をバカにしていたことです。
明らかに、僕の一番悪かった点だと思います。
言葉には出してなかったとは思いますが、たぶん、I君の言葉に対して、バカにした苦笑いをしていたのじゃないかなと思います。
I君は、それを察していたと思います。
「山根係長って、僕のことバカにしてますよね?」と、いつか言われたことがありました。
時々僕を睨んでいるような顔をしていましたし、僕のことをかなり嫌っていました。
つまり、お互いとにかく凄まじくイラッとする存在なわけです。
でも、そんな彼は、一時期、直属の部下で、僕の真正面の机に座っていました。
これは、お互い、悲劇に他なりません。
合わない者同士は、嫌い合っている者同士は、くっつけちゃいけませんよね。
でも、上の命令ですから、仕方ないわけです。
ちなみに、彼のことは、嫌いではありましたけど、仕事で成果を上げてほしいとは本心から思っていましたのでから、いろいろとアドバイスはしました。
あまり嫌っていない段階の最初の同行をした時に、こんな話を彼にしました。
「お前はボクシングで鍛えた根性がある。ある程度真面目にやれば、成績も上がる。でも、その時に慢心してはいけない。」と話した。
僕の使っているトークをそのまま教えたりもしました。
「彼とは合わないけど、嫌い合っているけれど、いつか分かり合えるだろう。」と心のどこかで期待していました。
「I君にも良いところはきっとあるはずだ。もっと彼を理解しなくてはいけない。」と思いながら、嫌悪感との狭間で苦しみながら、付き合おうとしていました。
でも、彼に善意のつもりで伝えたアドバイスは、すべて逆手に取られて、さらに嫌われました。
僕は、I君に陰口を叩かれまくりました。
おそらく僕も彼に関する愚痴を、上司に言っていたのではないかと思います。
もし僕が、今のコミュニケーションのスキルを持っていたら、あそこまで嫌われることもなかったとは思いますが、僕自身も残念ながら、当時は営業しかできないコミュ障野郎だったのです。
会社の飲み会で、彼はわざわざ僕のところまで来て、さんざん嫌味を言ったこともありました。
その時などは、彼の淀んだ濁った感情が僕の心のなかに入ってきた感じになって、胸が苦しくなって体調が悪くなったのを憶えています。
では、僕は、彼に対して、どうすべきだったのでしょうか?
彼との明確な心の境界線を引いて、心の距離感を保てばよかったのです。
まず、今ハッキリと分かることがあります。
とにかく、相手を理解しよう!
相手を理解しなくちゃいけない!
これは、無理なのです!
このレベルの合わない者同士は、しょせん、お互い理解できません。
相手を理解しようと努力をしているうちに、自分の心が壊れていきます。
相手を変えてあげようなどと思って、親切にしても、相手は絶対に変わらないのです。
その結果、自分がご機嫌でなくなります。
だんだん不機嫌になってきて、体調も悪くなります。
できれば、少しでも仲良くなりたいなーーー!
無理です!
少しどころか、さっき話したとおり、よけいにこじれます。
「ちゃんと仲良くなろう」と思わなければよかったのです。
彼に期待しなければよかったのです。
相手に期待するから、相手が自分の思い通りにならないから、腹が立つのです。
じゃあ、期待しなければ、腹が立つことはありません。
I君に期待さえしなければ、あそこまでの嫌悪感を抱くこともなかったのです。
彼との心の境界線を、明確に引けてなかったから、僕は自分の許容量を超えて頑張ってしまったんです。
頑張りすぎると、僕らは苦しくなるんです。
腹が立っているのを我慢すると、さらに苦しくなるんです。
だから、境界線を引くことが最善策です。
「ここまでは、頑張る」
「ここからは、絶対に頑張らない」
この考え方をもとにすると、過去の僕に、このようにアドバイスしてやりたいです。
仕事をサボるやつを許せない?
いやいやいやいや。
そんなの、放っておけばいいじゃん!おまえにの給料に関係ないよ。
彼の営業成績が悪くても、お前のせいじゃない!彼自身の問題だ。
上司としては、とりあえず頑張ったよ。
もうこれ以上、頑張らなくてもいい!
人間関係を良くしたい?
いやいやいやいや。
それは無理だよ!
彼とお前は合わないよ。
自分の中で心の境界線を作っておけばいいんだよ。
過去の自分に、こんなふうに言ってやりたいと思います。
ちなみに、このような反省を踏まえて、奥さんとはうまくやっています。
奥さんとは、真逆のことが多い。
ガスの元栓を切らない。
家の鍵を掛け忘れる。
決まった場所に物を置かない。
カラオケが好き
ゲームが好き
漫画が好き
勉強の話もできる
心霊体験の話は信じてくれている
スピリチュアル、マイスピチャンネルの話題、都市伝説、陰謀論的な情報はNG
それでも、僕にとっては、人生の最高のパートナー
世界一、僕を理解してくれている人。
「この人は、こういう人なんだあ。このままを受け入れよう。」でいい。
合わない人に絶対にやってはいけないこと
あと、合わない人に限らずではありますが、合わない人に特に絶対にやってはいけないのが、相手に正論をぶつけることです。
I君の場合は、仕事全般の素行が悪かったので、注意することが多すぎて、褒めることがなくて困るぐらいでした。
でも、僕が「会社のルールをちゃんと守れ」だの、正論(正しいこと)を言う度に、彼の反感を増幅させていたと思います。
合わない人に対して、正論を言うと、必ず大きな反感を買います。
「お前に言われる筋合いは、無いよ!」と思われるだけ。
注意などは本当に最低限にして、正しいことは、なるべく言わないほうが良かったです。
「正しいことより楽しいこと」なのです。
まとめますと、合わない人がいても、好き嫌いとか、敵味方とか、白黒をはっきりさせずに、心のグレーゾーンをなるべく作りましょう。
絶体的に合わない人からは、なるべく離れましょう。物理的な距離を取りましょう。
斎藤一人さん曰く、合わない人には会わないことです。
少なくとも、合わない人には、自分から近づかなければいいのです。
合わない人とは一緒にいないことが、お互いのためにベストです。
合わない友達とは、会わなければ問題は起こりません。
家族でも、合わない人とは、別々の部屋で過ごせば快適なのです。
食事も一緒に食べる必要はありません。
久しぶりに会ったら、仲良くできることもあります。
それができない場合は、心の中で明確な境界線を引いて、なるべく快適な心の距離感を保ちましょう。
合わない人と仲良くなる必要は、まったくありません。
そして、決して、相手に期待しないことです。
相手を変えようとしないことです。
相手は、決して変わりません。
相手に期待しなければ、腹が立つことはありません。
合わない人へ嫌悪感を抱くこともないので、皆さんの心が楽になります。
ひいては、何かのタイミングで仲良くなることもあるのです。
動画でご覧になりたい方は、こちらです。